帰るか、帰らざるべきか。いや、そもそもここへ帰れるのか。
浪江町・・・ジレンマを抱える準備区域の町
福島第一原発10Km圏内
通行証を携行し検問所を通過
立ち入り時間は午前9時から午後4時まで
旧警戒区域から4月1日に「避難指示解除準備区域」に再編された浪江町の今
浪江町市街 放棄された町
- 130522-_MG_8359.jpg・・・雑草に覆われた錆びた鉄路(常磐線)
- 130522-_MG_8382.jpg・・・常磐線浪江駅前ロータリー。「安心して暮らせるやさしいまち」は、誤解だった
- 130522-_MG_8411.jpg・・・廃墟の町に、信号も消灯する
浪江町中心街
- 130522-_MG_8415.jpg・・・マグニチュード6.5強が、歴史的建造物を倒壊させた
- 130522-_MG_8417.jpg・・・警察車両が治安維持の警戒に当たる。だが元住民は、「すでにあらかた盗られた」という
- 130522-_MG_8370.jpg・・・家族記念写真が取り残されていた
- 130522-_MG_8375.jpg・・・食器とネズミの糞が散乱する台所の床
請戸(うけど) 手付かずの津波被災地
準備区域の準備とは何なのか。震災直後、原発から近いという理由で捜索が1ヶ月以上入らなかったこの地区では、瓦礫の撤去もまだままならない。
- 130521-_MG_8268.jpg・・・請戸漁港周辺の集落は、403世帯が壊滅した。犠牲者の遺体捜索のために集められた瓦礫の山は当時のままだ
- 130522-_MG_8589.jpg、130522-_MG_8586.jpg・・・請戸小学校の校舎から、瓦礫の山越しに福島第一原発を望む。その距離6Km
浪江町立請戸小学校 3時37分
- 130522-_MG_8462.jpg・・・学年教室、理科室、図書室、家庭科教室、音楽室、そして体育館。校舎全ての時計が津波襲来の3時37分で止まる
- 130522-_MG_8465.jpg・・・2011年3月11、ここでは卒業式が行われていた。居合わせた児童・職員約80人は、高台に逃げ命をつないだ
- 130522-_MG_8498.jpg・・・陸上自衛隊第44普通科連隊が校舎内の捜索に入ったのは、震災3ヵ月後のことだった。
つづく捜索 残る不明者の影を求めて
震災から2年以上経ったその日も、防護服とマスクを装着した福島県内の警察・消防の職員が不明者の捜索を続けていた。隣接町民をあわせ、津波被害の行方不明者は約45人。波の侵食が地形を変化させるため、発見の可能性があるという。かれらの口から出たのは、もはや遺体ではなく、「遺骨」だった。
- 130522-_MG_8693.jpg・・・さあ、どこから始めたらよいのか。廃墟の集落を前に呆然とする警察官たち